対他人

2005年9月1日 趣味
人間関係を上手く保つため
またはより良くするため
小さな嘘が思いやりになる時。
全ては心地のよい環境の為。
 
 
 
 
他人と付き合うから揉まれて成長する。
同時に知らず知らずのうちに自我も削れて薄くなる。
私は昔より他人に対して正直にモノを言わなくなった。
そして1人1人の相手に対しての想いが常に形を変えるようになった。
小さな事で嫌になったり、また好きになったり。
異性・同性に限らずそれは頻繁だ。
些細な事で腹を立てると直ぐに害を与えたくてたまらなくなる。
傷つける手段を何通りも考える。
精神的、肉体的な暴力の一部始終を仮再生する。
そして相手にとって一番の大ダメージは何かと自問自答。
実際に行えば自分の考えの甘さと非道な匂いで苦しくなる。
いつだって私の激情は理不尽で非道徳的だ。
我に返ると悔しさと虚しさが込み上げてくる。
相手の顔が見えるなら余計に苦しくて、
いっそ殺してしまいたくなる。私ほどの滑稽な人間が居るだろうか。

けれど、そんな事は最近めっきり減った。
他人にあまり大きな期待をしないことにした。
私が何を言っても、どんな事をしてもきっと相手の利益になり得ないし
何もしなくても然程支障は無いだろうと。
懸命に相手を想って言葉を捜しても、そっけない相槌を返されたら
それこそ虚しくなるし、そんな言葉要らないかもしれない。
じゃあ私は何も言わない方が相手もきっと楽なのだろう。
その分、自分の事もあまり口にしない方が良いのだろう。
私の事・内面・本音、別に興味ないだろう。

そう考えるのが正しいと思ってた。
よく考えたらどうだろう。
私は信用できなくなっているんじゃないのか。
次第に思考は孤立へと向いていった。
「相手には自分と異なった価値観があるから何を言っても無駄」、
最終的には「もう他人なんてどうだっていい」となった。

こんな葛藤をしている私は、きっと一生一人立ち等出来ないだろう。
いつまでも一人では何も出来ない子供だ。
なんだかんだ言って孤独を恐れてるのはこの私じゃないのか。

もう少し余裕のある大人になれたらと願うのは恥じる事なのか。

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